王者・武甲
妻坂峠道は左に山路は右に別れる、華表は一ノ華表(鳥居)だ、上野駅を早朝にたち秩父町から
一ノ鳥居まで」二里を歩いて来たのは、大正時代の河田楨さんです。私達はお気軽に所沢発7:37の(ちちぶ3号)横瀬からタクシ-で舗装道路が切れてところおりたのは8時前、あまり先
まで乗ると、時間を持て余してしまいます。生川515m 武甲山約2時間10分の標識から山道
になりますが、簡易舗装の道が続きます。17~8年前の記憶はこの道と山頂のみでした。
15丁目から山道とり五十二丁目までの丁目石を数えながら、踏み固められた道が続きます。
狛犬の裏には、皇軍大勝将士武運長久の文字が見られ、鳥居も昭和12年の建立でした。
子持山から武甲山05年4月こちらからの武甲は武蔵のもののふの威厳を保っています。
武甲山北面
昭和26年山と渓谷社 登山地図帳(奥武蔵)
河田楨さんは当時のメインル-ト西参道を使い下影森に下っているようです。私達は浦山口へ
長者の頭
橋立川ココも記憶がないな
缶詰型の森永のグレ-プジュ-ス二十四丁目で採取 子供の頃缶のアゴに当たる所にオ-プナ-をあてて二カ所開けていましたね、プルトップはいつ頃なのか缶詰型は30年前
紅葉には早かったけど満員御礼でした。山頂からシバザクラ(羊山公園)が見える頃も良いかも
by takigoyama | 2006-10-16 14:43 | ハイキング | Trackback | Comments(0)