権衛尾根

このネチネチとした執念はコレクタ-には必要です。美しい破線が引かれている。
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                             奥秩父(小野 幸) 昭和22年
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                       奥多摩 (奥多摩山岳会編) 昭和30年
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                    奥多摩と大菩薩の旅(梶 玲樹) 昭和37年
 仙人尾根って戦後富田治三郎さんが手入れしたから謎・・・いずれも山と渓谷社
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  なんでこうなるの、たぶん著者の思い入れ? 日地出版昭和43年版
武州雲取小屋に一泊した【中西悟道氏】は仙人に小雲取までに送られて鴨沢に
向かいます。東に出張る『権衛尾根』への道と別れて、昭和27年6月に書き残して
             います。《仙人尾根》は30~40年代か  
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 日原の猟師 山崎憲一郎氏は雲取への遊猟の帰途いつもこの尾根を笹掻き分け
  て通るのだそうである。原 全教著(奥秩父)来年の地図は修正されるだろう

by takigoyama | 2005-11-01 09:42 | 覚え書き | Trackback | Comments(5)

Commented by シマダ at 2005-11-02 09:04 x
重くなりましたね、月々に分割しないとスクロールができましぇ〜ん
Commented by シマダ at 2005-11-02 09:11 x
富田さんが新道を開設する前はゴンエ尾根が通常ルートだったのですね
Commented by takigoyama at 2005-11-02 18:35
これで身軽になりました。日原の猟師山○憲○○氏にお話を聞きたい
けど、亡くなりました。地図著者の○山厚○さんに聞けません
Commented by at 2005-11-02 19:04 x
鎌仙人がお亡くなりになるのが昭和33年頃?富田新道は実質的には鉢巻きおじさんが開削した様子(鉢巻きおじさんの本参照のこと)。
仙人尾根というのは富田新道開削前に仙人が日原に一風呂浴びに往復したルートなのだろううか????????
ついでに・・・富田新道は今では唐松林道と分岐しているけれど、昔は尾根通しだったらしい。
蛇足、奥多摩山岳会の例の本で刈寄山の項目を執筆している方は、私の小学校のクラスメイトのお父さんでした。昔の奥秩父1の執筆者、天野一郎氏も五日市の入野の在とあるし・・。こんど地図持ってサインでももらいに行こうかな?
Commented by takigoyama at 2005-11-03 10:11 x
富田さんは昭和5年に小屋に入り34年12月に他界しています。
小屋裏市有林の境に建設した風呂場が毎日多数の登山者で
賑わっていると。(山小屋10号:昭和7年)に寄せています。

はたして日原にどんな用事があったのだろう・・・