世附のブナ林に軽く泣いて地蔵平では大泣き
トップの画像はコレでしょう、世附のブナを教えて頂いたK氏に敬意を払って所謂Kブル-菰釣山は(ブナノ丸)
と別名にもあるように縦走路から一歩入ったシキリ尾根(国有林)は盗賊ブッコシ(現ブナ沢乗越)と歴史を抹殺
したようなツマラン地名に改悪された、近くにありがら斧を免れたのは字が示すように木編に役立たずに(無)と書く
ブナは金にならない雑木扱いが幸いして、純林に近いブナ林が残っていたが、朽ちた白骨の脇で出番を待つ幼木
を見られなかったのは降雪量なのか酸性雨の影響なのかは素人には分かりません
レトロ風の画像にしてみました。ブナ沢乗越を仰ぐ
道志道の駅でエコノミ-症候群になりそうな(ビズネスクラスの経験もありません)身動きができない車中で夜明け
を待つ6~7時間これも修行のひとつ
避難小屋には三人の若者姿が窓越しに見られた、どんな一夜を過ごしたんだろうか、菰釣山に向かう道にて
菰釣山 8:56 南に向けたカメラもこの時間帯なら、モヤモヤしていない花丸の富士が撮れる。
シキリ尾根に乗ったがピンポイントでの現在位置(空106)がお宝地図上では確認できない
標高1000m付近のモミもしくはカヤに絡まるシラクチ(サルナシ)
823mを西へ壊れたフェンスの崖を、下り忍橋林道と富士見橋林道の合流に着地して掠れた(90)の標識を見る。
ボタンヅル
お車はお断りの林道をポクポク歩いて 白水沢橋-富士見橋の写真を撮りつつ泣ける地蔵平へ
写真を取り損なって古い画像をアップしました。
地蔵平の女の子SO-Kさんや丹沢今昔地蔵平 奥野幸道著に森林軌道と当時の様子を偲ばれます。さらに古く
秦野山岳会報第一号(昭和14年3月) 浅春の世附峠にも地蔵平の生活が記されています。
地図記号(文)とレ-ル記号に泣く
トロッコのレ-ルを使ったゲ-トの杭これも泣きところ
千鳥橋までのんびりと林道歩きも一転して二本杉峠に向かう破線路は切れ落ちている難路だった。
さがせ古道の踏む出しはおとなしいが、人の歩ける道なのだろうか、三椏の蕾が膨らむ安全な道で細川橋に下る。
by takigoyama | 2013-12-14 12:01 | ハイキング | Trackback | Comments(6)
個人的にはs-okさんのページの湯山商店の姿に大泣きです。
takigoyama師匠の師匠はバリルートも師匠ですね!
屏風岩山西面の古道、というのが松浦本にのっていて、とても
興味津々のところです。いつか行ってみたいです。
地蔵平から二本杉峠間は未踏ですが、関心度は高い私。
泣き所は弁慶だけではなく、この辺には一杯ありそうですね。
滞在して翌日は下山地にバスを回送するので、面白いル-ト
が組めます。細川橋-さがせ古道-地蔵平-織戸峠-平野
と歩きましたが、公共機関の乗り物でしたよ